長男が不登校になる頃の私と家族とのやり取りは以前の記事でお伝えしました。
ここでは不登校の4つの段階に照らし合わせて長男の様子について書いてみたいと思います。
不登校の段階
不登校には段階があるといわれています。
解説する人によって多少の違いはありますが、大きく分けて4段階に分けられることが多いようです。
私はこちらの記事を参考にさせて頂きました。
→先輩ママたちが運営する不登校の道案内サイト未来地図「不登校になる原因とは?克服までの4段階について徹底解説」
以下の4つの段階に分けて長男の様子をお伝えしていきます。
- 初期
- 本格期(葛藤期)
- 安定期(回復期)
- 始動期
1.初期
急に不登校になったというよりは、学校への行き渋りや学童の早迎えの希望など、不調の兆しはあったのだと今ならわかります。
(その頃を書いた記事はこちらです。→不登校の始まり)
家での様子はというと、特に変わったことはなかったように記憶しています。
ただ私はフル勤務の中での家事育児だったので、余裕を持って子供たちを見ていたかというとそういうわけではありません。(祖父母と同居中でしたが、次男が小さかったこともあって毎日がバタバタでした)
家での長男の変化に、私が気付いていなかっただけかもしれません。
長男は家庭内ではいつも通りでしたが、学校や学童に向かうエネルギーは少しずつ少なくなっていきました。
学校への行き渋り、学童の行事への参加を嫌がる、学童の早迎えを希望する。
これだけのサインが出ていたときに、もっと長男のことを見てよく話していれば良かったなと今さらながら思います。
長男の心の内を推測するならば「学校へ行かなければならない。学童にも行かなければならない。でもどちらにも行きたくない気持ちがある。」といったところでしょうか。
やりたくないけどやり続けることで、心のエネルギーがどんどんすり減っていってしまっている状態であったのだと想像します。
2.本格期(葛藤期)

長男は小学2年生のGW明けに学校へ行くことができなくなりました。
(その頃の記事はこちらです。→学校へ行きたくない)
学校へ行かなければならないことはわかっている。でも体がそれを拒んでいる状態。
小学生なら1日の大半を費やしていた「学校へ行く」時間がなくなったことで、長男自身が自分と向き合う時間も必然と増えてしまっていました。
私と祖父母の話や目に見えないプレッシャーも感じていたのでしょう。
長男は自分の身を守るために、自分のまわりをお気に入りのぬいぐるみやタオルケットで囲んでいることもありました。
ニンテンドー3DSを片手に、ひたすら現実から逃避している時期でもありました。
不登校を受け入れ始めて幾日か経った頃、私と一緒に部屋で過ごしているときに二人で話をする機会がありました。
話の流れは忘れてしまいましたが、その話の中で「ママのせいでぼくのじんせいめちゃくちゃだー!」と言い放ったことがあります。
私は言い放たれたその言葉に「ごめんね。つらかったよね。いっぱい我慢してきたよね…。」と謝ることしかできませんでした。
夫(パパ)とは別居し、仲の良かった保育園の友達とも離れ、祖父母と同居する中でたくさんの我慢をしてきたことが理由だったかもしれません。
私に対しての責めの言葉をようやく出すことができたのでしょう。
その言葉を吐き出した後は、感情的にもならず、穏やかに会話をすることができました。
夫とは別々で暮らしていたので、「パパのこと嫌いになったの?」「もう前のうちには戻れないの?」と今まで聞きたくても聞けなかっただろうことを私にポツリポツリとこぼしてくれました。
「パパのことが嫌いになったわけじゃないよ。ママが上手に仲良くできなくなっただけ。これからはおじいちゃんおばあちゃんに手伝ってもらいながら暮らしていこうと思っているよ」と私からは伝えました。
この日を境に長男の表情は少しずつ穏やかさを取り戻していきます。
葛藤期は子供にとっても親にとっても辛い時期だと感じます。
子供自身は自分の内面で沸き起こる感情と向き合うことが必要になります。
今まで溜めてきた感情を親に向かって吐き出すこともあるでしょう。(この期間を膿出しの期間と解説している場合もあります。)
親自身は過去の子育てへの後悔や、世間の目と自分の価値観のはざまで自分の在り方を見つめ直すことが必要な時間です。
経験者や第三者のサポートを得ながらすすむことが望ましいです。
(過去記事はこちらです。→「伝える」ということ)
3.安定期(回復期)

本人曰く、「自分でも何をしていたのかあまり覚えていない」のが葛藤期でした。
自分の心の中のもやもやを見ないためにゲームやネットに逃げ込む時間も多くありました。
無我夢中で工作を作り込んでは私や祖父母に見せていたこともありました。
その時期を過ぎてからは穏やかな表情が戻り、笑うことが少しずつ増えていきました。
家庭内が落ち着きを取り戻し、「ママ、ひまだよ~。なにしよ~。」とのんきなボヤキが聞けるようになりました。
安定期(回復期)と呼ばれる段階に少しずつ移行していました。
(その頃の記事はこちらです。→「学校へ行けない」状態と「学校へ行かない」を選択すること)
「じゃあ学校へ行く?」とは言うつもりはありませんでした。心の休息が必要な時期だと理解していたし、祖父母にもそのように伝えていました。
あまりに暇だったのでしょう。私の職場についてきたり、二人だけでお昼ご飯を食べに行ったりと行動の幅が広がりつつありました。
学校や学童の友達とは会う機会がなくなっていたため、家族のみで過ごすことがほとんどになっていました。
友達と遊びたい気持ちはあるものの、「学校へ行っていない自分は他の子から責められる」という思いがあるので、自分から誰かを誘いに行くということはできませんでした。
安定してきたのは2年生の後半頃でしょうか。
3年生の後半頃に事情があって祖父母と別居することになり、私と子供たち2人で暮らしていくことになります。
その後は私の自由はほぼなくなってしまいますが、長男にとっては祖父母の目がないことでよりのびのび過ごせるようになったようです。
言葉にしなくても、祖父母の心配や思いが長男に重りのようにのしかかっていたのかもしれません。
兄弟でもよく遊ぶようになり、家の中ではとてもリラックスして過ごせていました。
外部との接触はあるのかというと、長男は他人から見られている自分を意識しすぎているために「人が怖い」と言っていました。外出を避ける傾向にあります。
それでも5年生になった今は外に行きたい気持ちも芽生えたようで、公園もコンビニも人のいない(少ない)時間に行っては人が増えてくるとすぐに帰るという感じで外出しています。
4.始動期

ここ数か月は「プロゲーマーになりたい」「スポーツやりたい」「○○に行きたい」など、「~したい」という発言が多く聞かれるようになってきました。
始動期と呼ばれる段階に入っているのかもしれません。
家の中でもよく笑い、よく動く(部屋を行ったり来たりする)ようになってきています。
とはいえ「人が怖い」状態は継続しているので、安定期(回復期)と始動期とを行き来しているような感覚もあります。
自分の中の葛藤が小さくなり、本来の自分と表に出ている自分とのバランスが取れるようになってきたのかもしれません。
自分の「~したい」気持ちに気づき、それを言葉に表すことができるようになったことは大きな一歩だと思います。
学校やフリースクールへ行くことをゴールにしようとは全く思いません。
ホームスクールでもいい。どこかへ通うことになってもいい。自分で選ぶことが重要であり必要です。
長男の「~したい」気持ちを否定せず、後押ししてあげられるようサポートしていくことが今の私の役目でもあると思っています。
まとめ
各段階の子供への接し方は外部サイトに解説されていますので、気になる方はそちらを参考にされると良いと思います。
とはいえ不登校とひとまとめにできるわけではなく、家庭によって事情も対応も異なる場合がほとんどです。
我が家の長男の場合、初期から始動期に入るまで三年という月日が経過しています。
ですがもっと長い時間が必要な場合もあるでしょうし、その逆ももちろんあるでしょう。
自分の感覚を大事にした上で第三者の意見を上手に取り入れていくことをおすすめします。
お読み頂きありがとうございました。
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