私の長男が不登校になり始めたときの記録です。
年数が経っているので、細かいところは覚えていない部分もあります。
いくつかのパートに分けて書いていこうと思っていますので、興味のある方は覗いてみてください。
育児と仕事

独身の頃から働くことが好きで、稼ぐことというよりは人の役に立てていることに充実感を覚えるタイプでした。
それが妊娠・出産期間は思うように動けなくなり、働くことを休まざるを得ない状況に戸惑いながらも、安産で長男を出産することができました。
慣れない育児に右往左往しながら、実母の助けを得ながらなんとか乗り切っていました。
長男が6ヶ月を過ぎたくらいから、「外に働きに出たい」という気持ちが沸き起こってきました。
もともと家でじっとしているのが得意ではなく、仕事が無い日は遊びに出ているか寝てるかのどちらかでした。
1歳から保育園に入れることを目標に情報収集を始め、願いが叶って保育園に入れることができました。
医療事務、飲食店のランチタイムのスタッフ、営業と職を変えてはいましたが、外に働きながら子供を育てるというスタイルが私には合っている。
まわりのママたちも働いている人が多く、子育てしながら仕事をしていることに何の違和感も感じていませんでした。
働くことで子育てと向き合う時間が少なくすんでいたという見方もできます。
一日中子供と一緒に過ごすことの方が大変なことのように感じていました。
仕事に逃げる時間があるからこそ、子供との時間も過ごすことができる。
勝手な言い訳に聞こえるかもしれませんが、そう思うことでバランスが取れていたのがこの頃の私です。
小学校入学と学童

平日は仕事と保育園の送り迎えにワンオペでの育児家事の忙しい日々を過ごしていました。
その分休日は子供とどこに遊びに行こうかと考えるのが楽しくて、それなりに充実感を得ながら毎日を過ごしていました。
そして長男が年長のときに次男が生まれ、産休明けで次男を保育園に預けながら仕事に復帰すると、毎日が目まぐるしく過ぎていきます。
長男が無事に卒園し、訳あって長男は保育園があった学区とは別の小学校へ行くことに。
私が仕事をしていることもあり、学校が終わったあとは学童保育へお願いすることにしました。
学校も学童も、入った当初は嫌がっていたものの、友達ができてくると気持ちが落ち着いてきたかのように見えました。
学校にも慣れ、1年生の生活が無事終わっていきます。
不登校の始まり
2年生が始まった4月の半ばを過ぎた頃から、朝の登校班の集合時刻に間に合わないことがちらほらありました。
1年生の頃は一度も集合に遅刻したことはなかったのに、だんだんと遅くなる日が増え、その都度私が学校まで送って行くことに。
ときには2時間目から行き、違う日には5時間目から行くこともありました。
そのときの私の仕事は営業だったので、比較的時間を自由に使える部分がありました。
長男の行き渋りに、ある程度自分で対応できていたのを記憶しています。
学校が終わると学童へ行くけれど、「早めに迎えに来てほしい」というので、おじいちゃんおばあちゃん(私の実父と実母)に学童のお迎えを頼んでいました。
ドタバタの4月が終わり、5月の大型連休に突入します。
連休の間は私も仕事を入れずに、長男と次男を連れて遊びに行ったり、家でのんびり過ごしたりしていました。
楽しく連休を終え、いつも通り学校が始まります。
長男は連休中にしっかり充電ができたおかげか、4月のドタバタが何事も無かったかのように、スムーズに学校に行くことができました。
でもそれは連休明けの1日だけでした。
連休明け2日目、長男は朝起きてはいるけれど、布団から出てくることができませんでした。
学校へ行きたくないへ続きます。
お読み頂きありがとうございました。
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