長男が不登校になり、学校や祖父母との間で揺れている頃の気持ちを記録しています。
揺れてもいい。迷ってもいい。
今悩んでいる人へ、過去の私へ。
そのときそのときの一瞬の気持ちに気付けますように。
学校へ行きたくない

朝布団から出ることができずにいた長男。「学校へ行きたくない」という長男と「どうして?」と問う私。詳細なやり取りは今はもう覚えていませんが、当時同居していた祖父母から私へのプレッシャーがあったことだけは覚えています。
祖父母から孫へ直接「学校へ行きなさい」というのは気が引けるのでしょう。「親であるあなたがしっかりと(学校へ行くよう)言いなさい」ということを言われていました。
私自身もまだ「学校へ行けるのなら行ってほしい。でも無理には行かせたくない。でも親からは行かせなさいと言われるし…。」とグラグラ揺れている状態でした。朝一緒に登校する班の子に「今日は私が送っていくから先に行っててね。」と声をかけにいくのが精一杯。
仕事へ行く準備をしながら長男の様子を気にしつつ、次男を保育園へ送って仕事へ行く。仕事へ行ってひと段落したらまた長男の様子を見に家に帰るということをしていました。
長男の心を守るもの

「学校へ行きなさい」という祖父母の無言の圧力と、私の「行かせるのか行かせたくないのかどっちつかずの状態」の中で、長男にとっては決して平和な空気とは呼べない毎日だったと思います。
そんな不安定な日々の中で長男の心を守ってくれていたのは、1枚のタオルケットとぬいぐるみたちでした。
長男が保育園の頃から大事にしているタオルケット。寝る時や出かけるときはいつも自分のそばに置いている、いわゆる「おまもりタオル」です。
そのおまもりタオルとぬいぐるみを自分の布団のまわりに並べ、その中にいることが多くありました。
あとからカウンセラーさんとの会話の中でわかるのですが、これは自分の心がこれ以上外部からの刺激で傷つかないよう、自分で自分の心を守るための行為だったようです。
自分の大好きなものたちで自分のまわりに壁を作り、私と祖父母との言い合いや、声そのものから自分の心を守ろうとしていたんです。
家庭内の状況は最悪で、そんな状況下でも自分で自身を守ろうとする力があることにはとても驚かされました。
学校には行かなくていい

祖父母のプレッシャーの中、私自身も迷いながら長男への登校催促を続けていました。ですが仕事へ行かなければならなかったので、朝の一時は言い争いするものの、そこを過ぎれば祖父母へ長男の子守を頼み、仕事へ行って早めに帰るという日々でした。
毎朝布団の中にいる長男を説得するように声をかけ、自分は長男を置いて仕事へ行く。
正直仕事をしていてもずっと気になっているので、大した成果も挙げられず、職場にとってはきっと迷惑でしかなかったと思います。子供のことで頭がいっぱいなので、まわりが見えていないのが救いです。まわりの目を気にしていたら、成果を挙げずに在籍していることが申し訳ない気持ちでいっぱいになっていたでしょう。
長男を家に置いて仕事へ行く。祖父母は仕事をしていないので時間に余裕があり、長男の食事の用意や私が仕事で遅くなる時の次男のお迎えは、祖父母に頼むことができていました。
仕事が終わり家へ帰り、一見何事もなかったかのように一日が終わります。
でも朝が来ればまた不安定に逆戻り。
私自身苦しくなっていたのかもしれません。自分のことに気づく余裕もなく、祖父母の目と世間の目に合わせて「学校へ行かせた方がいい」と思い込み、そのように動いていました。
ある朝いつものように長男へ「学校へ行ってみない?」「今日はどうする?」と声をかけているときに、ふと気づきます。「何かが違う」と。
祖父母と長男の間に板挟みの日々の中、自分の心が音を上げたのかもしれません。
「学校へは行かせたくない」という思いが自分の中にあることに、ようやく気づきました。
こんな辛い思いをしてまで学校へ行かせたくない。
誰が何と言おうが、この子が学校へ行きたくないと言う以上は行かせない。
今度は私から祖父母への説得が始まることになります。
「伝える」ということへ続きます。
コメント