「学校へ行けない」状態と「学校へ行かない」を選択すること

不登校、選択登校 不登校・学校へ行かない選択

スクールカウンセラーとの話し合いや祖父母との折衝を経て、家庭内は少しずつ落ち着きを取り戻していきました。

一番辛かった時期を越え、不登校が安定してきた頃について書いています。

「伝える」ということの記事の続きになります。

スクールカウンセラーとの話し合い

話し合いに関する画像

いつもは私とスクールカウンセラーだけでの話し合いに、おじいちゃんおばあちゃんをを呼んでみませんか?とスクールカウンセラーから提案されました。

心を消耗していた私に対するスクールカウンセラーのサポートだったのだと思います。私と祖父母の間に入って話し合いの機会を設けようと試みてくれたのです。

話し合いへの参加の是非を祖父母に問うと、祖母だけが参加してくれることになりました。

私にとっては家での祖父母の言動は厳しく感じられ、愛情ゆえにというよりはしつけや人格矯正のようにしか感じられませんでした。

ですが、ここでも第三者への相談であるということが幸いしたのでしょう。祖母は身内への言葉とは違った言葉でスクールカウンセラーへ質問していました。

「学校へ行かないことで将来がどうなってしまうのかとても不安、心配だ。だから○○には学校へ行ってほしいし、どうしたら学校へ行けるようになるのか教えて欲しい。」というのが祖母の思いでした。

するとスクールカウンセラーが、○○君は学校へ行きたくても行けない状態であること、今はゆっくり休むことが必要であることを再度説明してくれました。

私から聞くのと実際に心の専門家から聞くのとでは納得する度合が違ったのかもしれません。

祖母は、改めて異文化を受け入れようとするかのような面持ちで聞き入れ、腑に落ちてはいないがスクールカウンセラーの言葉を飲み込もうとしてくれました。

今までの私や長男への言動は、祖母の不安や心配が生んだものであったというわけです。

祖母がどう思ったのかわかりませんが、私にとっては有意義な話し合いの時間でした。

心配という名の愛情

心配や不安に関する画像

心配している本人からすれば愛情をかけているつもりでも、心配されている人にとってはそれがただのおせっかいやプレッシャーのように感じられることがあります。

「心配している」ことと「愛情をかけている」ということはイコールではない。

心配や不安を相手に伝えることは大切です。

ですが過度に踏み越えてまで相手に自分の思うやり方をさせることは、相手のためにはならないのではないでしょうか。

心配している、愛情をかけているというただの自己満足に終わっているのかもしれません。

心配や不安から相手に変わって欲しいと望むときは、自分の中の心配や不安がそうさせていることが多くあります。

相手に変わってもらうより前に、まずは自分の中に心配や不安の種が無いかを疑う必要があります。

祖母の心配の種は「学校へ行かないことで孫が将来引きこもりになってしまうのではないか」という、今起こっていないことに対する不安によるものでした。

自分が不安な気持ちを感じたくないがために、「学校へ行ってほしい、学校へ行かせてほしい」という言葉や行動に出ていたのでしょう。

スクールカウンセラーとの話し合いで、祖母の胸の内が聞けて良かったと思っています。

祖母(祖父も含め)の真意がわからないまま平行線でいたら、家庭内の不安定な状態がもっと長引いていたかもしれません。

私の中で祖父母の気持ちを受け入れていく準備ができ始めていました。

地域の不登校の子のママたちと出会う

スクールカウンセラーと私の話し合い(カウンセリング)はその後も隔週に1回ほどのペースで続けていました。

その頃地域の不登校の子のママたちに会う機会もあり、私の思いを吐き出せる場所は拡がっていきました。

誰かに自分の悩みを打ち明けられることが、こんなにも心を軽くしてくれるんですね。

自分が元気を取り戻していくのが実感できるようになっていました。

逆に言えばそれだけダメージを受けていたということ。

自分の親に責められ、自分自身が自分を責め、追い込まれていたのでしょう。

何を食べても美味しいと感じられず、何をしても楽しいと感じられず。

ただ毎日をこなしていくことに精一杯でした。

今だから言えることですが、私の場合は運が良かったのです。

話ができるカウンセラーに出会い、悩みを共有できる不登校児ママたちにも出会えたのですから。

その出会いが無ければずっとトンネルの中を彷徨っていたかもしれません。

私の気持ちが前向きになってくるにつれて、スクールカウンセラーとの話し合いを必要に感じなくなっていきました。

隔週に1回の話し合いをお休みすることを伝え、学校へは月1度担任の先生と顔を合わせに行くだけとなりました。

「学校へ行けない」から「学校へ行かない」へ

学校、不登校に関する画像

「不登校」を受け入れることは、子供の精神状態よりも親の精神状態が大きく影響します。

「不登校」は子供自身の足が止まって「学校へ行かない(学校へ行けない、学校へ行きたくない)」状態でいることです。

その状態をなんとかしたくて学校へ行かそうとするのか、表向きは学校へ行かなくていいと言いながら本心では行って欲しいと思っているのか。不登校になってすぐはこのどちらかに分かれる親御さんが多いのではないでしょうか。

子供の将来への不安、不登校家庭への世間からの目、夫や実父母・義父母からの「学校へ行かせるように」という様々なプレッシャーに押し潰されそうになりながら、対応をしていく。

いくつものプレシャーへは、一つ一つ対処することが可能です。

子供の将来への不安や世間からの目は、自分自身と向き合うことで解決方法を探ることができます。(何が不安なのか、世間からどう思われているのが辛いのか、など。)一人で向き合うのは辛い作業なので、カウンセラーを活用するのが良いかもしれません。

夫や実父母・義父母との関わりは、何度も何度も話し合いをしていくことでお互いの理解が深まり、関係が変わっていくこともあるでしょう。(身内といえど、意見が合わない場合には物理的に離れることもときには必要です。第三者を間に挟んでの話し合いが効果的な場合もあります。)

「学校へ行けない」状態を受け入れ、周辺環境との摩擦を生じながら「学校へ行かない」を選択していくことは、とても覚悟が必要なことだと感じます。

親自身が親である前に人としての在り方を問われ、自分軸を持つことの大切さを再認識させられることだってあるでしょう。

私の場合は時間の経過と共に自分の心が回復し、「子供が学校へ行かなくてもいい」と思えたからこそ子供が「学校へ行かないこと」を受け入れられました。無理をして学校へ行き、体と心をすり減らすくらいなら、学校へは行かなくてもいい。

「学校へ行けない」状態を受け入れ、「学校へ行かない」「学校へ行かなくてもいい」を選択できるには、親の心の安定が必要不可欠でしょう。

今はまだ受け入れられなくてもいいし、「学校へ行って欲しい」と思ってもいい。

自分の気持ちに正直にいれば、きっと答えが出てきます。

どうか焦らずに自分の気持ちと子供を見守ってあげてください。

お読み頂きありがとうございました。

コメント